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Title:【九州の食材】椎茸・平茸 福岡県朝倉郡東峰村(農)宝珠山きのこ生産組合 川村倫子~農業をする農学博士

 

サブ1

 

「実は実家がきのこの生産者だということは就農しようと考えた後に気がついたんですよ」
そう言いながら、コロコロと陽気な笑顔を見せるのは、(農)宝珠山きのこ生産組合の川村倫子さん。

川村さんは福岡県朝倉郡東峰村の宝珠山地区で40年前より椎茸栽培をおこなう農家に生まれ、高校卒業後は「薬用きのこの研究がしたい」と農学部への進学を選択。そのまま薬用きのこの栽培研究を大学で行い、大学院にまで進学し博士号を取得。
その経歴だけを聞くと最初から実家の椎茸栽培を引き継ぐために大学での研究を行ったのではないかと考えてしまうが、実際はそうではなかった。

もちろんきのこに興味を持った背景には実家の影響であったのは確かだろう。
だが、それ以上にきのこの世界は川村さんを虜にする魅力を持っていた。

大学院での研究を通じ、川村さんが感じたのはきのこの「狭くて深い世界」。
それは研究の過程で知り合った業者の人達が実家の椎茸栽培と直接の繋がりはないように見えて、実は間接的には様々な繋がりを持っていることが分かった時。
椎茸栽培という狭い世界でも、様々な地域の様々な人たちが直接的間接的に関わり合って成立していることが分かった時、川村さんはきのこ栽培の世界に奥深い魅力を感じたのだった。

さらに大学院での研究を通じて自分が研究者向きではないと自覚した川村さんは、その後の進路を考えた時「良い物を作り出してお客様を喜ばせたい」という想いからきのこの生産者になることを考え始める。そしてそう考え始めた後から、実は自分の実家がそのきのこ生産者であることに気がついたのだった。

ちょっとお間抜けな話にも聞こえるが、実は川村倫子という生産者の枠を越えた生産者が誕生した背景には、川村さんが持つ“今、自分が興味のあるものや楽しいと思うこと”を直感的に嗅ぎわける嗅覚があってのこと。
彼女は自分の進路をその嗅覚に従って選択し、その選択の上に実家が乗っかっていただけとも言える。

(農)宝珠山きのこ生産組合4代目の川村倫子さん。農学博士の称号を持つ「農業する農学博士」でもある。

(農)宝珠山きのこ生産組合4代目の川村倫子さん。農学博士の称号を持つ「農業する農学博士」でもある。



 

サブ2

 

 

川村さんのことを“生産者の枠を越えた生産者”と表現するには理由がある。
その1つが福岡県内外のきのこ好きの人達と積極的な交流を行い、2013年に熊本で開催された「きのこ文化祭」や阪神百貨店で開催された「ドキドキきのこフェスティバル」へ参加、さらには今年の11月24日に福岡市中央区の警固神社で開催された「フクオカきのこ大祭」の実行委員会の代表を務めるなど、きのこ生産者というだけではなく「福岡できのこが一番大好きな人といえば川村倫子」と言いたくなるような活動を展開していること。

そのことに話を向けると「もう、私の人生きのこまみれですよ」と川村さんはやはり楽しそうにコロコロと笑う。
「でも、私は楽しいからOKです。楽しい所に人は集まるんですね。そして、そこで生まれるきのこがつなぐ“縁”が私のモチベーションになっています」
そう川村さんは明るい表情で語ってくれた。

さらに川村さんは商品プランナーとしての側面も持っている。
元々は椎茸生産のみを行っていた(農)宝珠山きのこ生産組合だったが、産直の生椎茸を持って催事への出店をすると、確かにお客様からは好評を頂けるが売上そのものはそれほど伸びない事実に気がつく。

そこで3年前より「生椎茸だけではなくお客様にもっと選択の幅を提案したい」と加工品の商品化を手掛け、乾燥椎茸を使った佃煮「タレ漬け天竺」、「タレ漬け天竺」のタレから派生した万能タレ「きのこ屋のうまかっ!たれ」、塩麹ときのこを合わせた調味料「きのこうじ」、きのこと昆布の植物性の旨みに特化した麺つゆ「やっぱきのこだし」と、次々にきのこを使った加工商品を生み出していったのだ。

それらの商品は「他のところにはない」新しさとネーミングの楽しさから各方面で好評を獲得し催事への出店依頼が増加。
さらには宝珠山地区に生産所兼直売所を置くと共にWEBでの加工商品の直販も開始。
それらの活動を通じて生産・加工・販売を生産者が一括して行う農業の6次産業化のモデルケースとしても注目を集め、現在は講演の仕事も増えているという。

川村さんが生みだした加工商品【画像左】乾燥椎茸を使った佃煮「タレ漬け天竺」【画像右】塩麹ときのこを合わせた調味料「きのこうじ」

川村さんが生みだした加工商品【画像左】乾燥椎茸を使った佃煮「タレ漬け天竺」【画像右】塩麹ときのこを合わせた調味料「きのこうじ」



 

サブ3

 

 

多彩な活動を見せる川村さんだが、そのベースはやはり(農)宝珠山きのこ生産組合の作る美味しいきのこにあることは間違いない。

(農)宝珠山きのこ生産組合は川村さんで4代目になる代々のきのこ生産農家。
元々は原木椎茸の生産を行っていたが20年前に台風の被害で原木が全滅した年をきっかけに屋内で栽培する菌床栽培と呼ばれる栽培方法に切り替え、同時に春と秋のみであった椎茸の出荷を1年中行える体制を確立。

生椎茸というと原木椎茸をブランド品のように崇める風潮が今でもあるが、川村さんは「菌床栽培椎茸が原木椎茸より美味しくないということはありませんよ」と言う。
その中でも(農)宝珠山きのこ生産組合の椎茸は肉厚で軸のしっかりした椎茸を生産しており、その美味しさの理由を尋ねると「宝珠山の水と空気です」という力強い答えが川村さんから帰って来た。

水は宝珠山に湧き、日本名水100選にも選ばれた“岩屋湧水”。
その湧水を使い、さらに清冽な宝珠山の空気に触れることで健康的な椎茸が育成される。
さらに屋内で栽培する菌床栽培のメリットとして完全無農薬での栽培が可能で、安全で美味しい椎茸が生産されている。

現在(農)宝珠山きのこ生産組合の主力生産きのこは椎茸の他には平茸がある。
こちらも菌床に工夫を重ねることで椎茸同様に安全で健康的で美味しい平茸をお客様にお届けすることが出来ているのだ。

 

最後に川村さんに農家としてこれからの目標をお聞きすると次のような答えが返ってきた。
「催事やイベントのようにこちらから出向いて私共のきのこや商品を知って頂くだけではなく、工場見学や栽培体験をして頂くことで宝珠山へ足を運んでもらえるようにしていきたいと考えています。今、全国各地のきのこの名所を巡る“きのこツーリズム”という動きがあるんですよ。その動きに宝珠山も乗れるようにして行きたいと思っています」

その答えの中にはきのこに対する愛情と宝珠山に対する愛情が両方含まれている。

きのこを愛し、宝珠山を愛しながら生産者という枠を越えて活動する川村倫子さん。
これからの活躍に期待が集まる福岡の農家の1人だ。

(農)宝珠山きのこ生産組合が栽培する椎茸と平茸。菌症栽培により安全で健康的、なおかつ宝珠山の水と空気で育まれる美味しさがウリ。

(農)宝珠山きのこ生産組合が栽培する椎茸と平茸。菌床栽培により安全で健康的、なおかつ宝珠山の水と空気で育まれる美味しさがウリ。



 

店舗データ

店名 (農)宝珠山きのこ生産組合 代表 川村卓三
住所 福岡県朝倉郡東峰村小石原鼓334-1
アクセス 大分自動車道杷木ICを下車。県道52号線を北に向かい、国道211号線に合流したところで南に下り約5分。
電話 担当者不在の場合が多いのでご連絡はHPに記載しているFAXもしくはメールからお願いいたします
営業時間 事務所 9:00~16:00

Title:【COLUMN Vo.9】頑張っても売上が作れない時代がやってくる

さて、今日は少し統計的な話を書きましょう。

これをお読みの皆様は、現在福岡市の人口が何人かご存知でしょうか?

おそらく多くの人が「福岡市は150万都市」と思われていると思いますが、福岡市が出している平成26年12月1日現在の最新の人口統計は1,521,497人となっています。

しかし、この人口の将来の推移予想をご存知の方は少ないかもしれません。

福岡市が発表した「福岡市の将来人口推計について」という資料があります。

それによると2010年に146万人だった福岡市の人口はこの5年で急激な伸びを見せ、現在は152万人となっていますが、その後は微増を続け2035年には160万6千人となりピークを迎え、その後減少に転じると予想されています。

その予想だけを見ると「福岡市はまだまだ人口が増えるんだな」という認識しか生まれませんが、実はこの将来人口推計の年齢別を見ると違う視点が生まれます。

人口そのものは2035年まで増加し続けますが、年齢別人口のうち消費力の高い15歳から64歳までの人口のピークは2015年となっています。つまり来年がピークなのです。
逆に増えるのは65歳以上の高齢者層。

これは何を意味するかというと、人口自体は増えるけれど消費人口は来年をピークに減少する方向になり、翻ってみると福岡市内の消費全体が2015年をピークに減少する可能性が高いことを意味します。

(興味のある方はこちらをご覧ください。
「福岡市の将来人口推計について」
http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/33886/1/suikeikekka.pdf )

人口=消費市場規模と捉えるのは、実際はそんなに単純なものではありませんが、しかしある程度の目安にはなります。

そして、消費人口が減ることで何が起こるのか?というと、単純に今までと同じように頑張った場合、同じやり方で頑張れば頑張るほど苦しくなるという現象が起きます。

今まで通り頑張っているのに売上が伸びない、もしくは売上が確保できないという現象が起こり始めます。

「本当か?」と思われた方は、すでに人口減少=市場規模減少を経験している地方の中小規模の街で商売をされている人達に話を聞くと良く分かると思います。
福岡市は現在まだ人口増加の中にいますが、地方の小さな町はすでに人口減少の波に直面しています。

人が減ると市場規模が減り競争が激化し、大手資本に負ける中小企業が続出します。
地方都市へ行くと目立った飲食店が少なく、殆どがファミレスやFCなどのチェーン系に市場をさらわれている事実は、単純に地方の商売人の努力が足らないというだけではない別の現実があります。

その中でも地方でありながら頑張っている飲食店には共通点があります。
それは自店の商圏範囲を大きく捉えていること。

「地域密着が小さなお店の生き残る道」と言われている中で逆行するようですが、実際は地域密着を捨てた店が伸びているのが地方の飲食店の現実だろうと思います。

要はそれらのお店は自店のお客様がどんな人達なのかを再定義し、今までのとは違う市場感覚で商売を組み直した結果が自店の売り上げ確保に繋がっていると言えるのです。

福岡市もおそらくそうなります。

地方のように急激な変化は訪れないかもしれませんが、これから10年・20年でじわじわと今と同じ市場感覚では商売が厳しくなっていく可能性が高くあります。

では、福岡市の飲食店がこれから意識すべきことは何か?

それは、地元のお客様だけではなく外からの移動人口にも着目し、外からのお客様にも充分「良いお店だ」と言って頂ける店を作ることです。

関東・関西といった国内のお客様だけではなく、海外のお客様も視野に入れて。

フードスタジアム九州は創刊時に「マニフェスト8カ条」を掲げ「九州に観光客を集めるための基盤作りを行います」と宣言しました。

なぜ観光客なのか?

その答えは、これからの福岡市の状況を考えるならば、そうすべき切実な理由があるからです。

 

今までのやり方がそのままでは通用しなくなる時代がもう目の前に来ているのです。

 




島瀬武彦島瀬モノクロ横

1971年7月20日生まれ。山口県山口市出身。学習院大学フランス文学科中退後、家業の喫茶店の2代目として飲食店経営に関わる。山口県山口市徳地という山の中の田舎の立地に苦戦する中で、神田昌典氏が主宰する「顧客獲得実践会」に参加。通販業界が使うダイレクトレスポンスマーケティングの手法を飲食店の集客に応用することで売上を劇的に改善。2004年よりマーケティング・戦略コンサルタントとして活動。2014年よりフードスタジアム九州編集長を務める。

Title:【COLUMN Vo.8】お客様を基準にすれば意味のない競争は生まれない

今日は山口にいます。

直接お会いした方にはお話しする機会もありましたが、私は今、山口と福岡を行ったり来たりしながら仕事をしています。

今日の山口は夕方過ぎから雪が降っています。

夜の暗い空から降る白い雪は、とても綺麗です。
さて、今日は昔。インターネットコンサルをしていた知人から聞いた話を書きましょう。

その知人があるネットショップのコンサルを依頼されて状況を聞いたところ
「価格競争が始まって大変です」
という話を聞きました。
同じ商材を扱う競合のB社がどんどん値段を下げて行く。競争に勝とうと思うならばこちらも少しでもB社よりも値段を安くする必要がある。
しかし値段が安くなりすぎて今では利益が出なくなり始めて大変だというのです。

その話を聞いて知人は首をかしげました。
それというのもその会社の扱っている商材もB社が扱っている商材は価格競争が起きるほど市場が飽和しているように見えなかったからです。

そこで調べてみると分かったことが、価格競争は実はこの会社とB社との間だけで起こっていたということ。

ある日、その会社の経営者がB社のHPを見ると値段が少し下がって自社の価格よりも下に来ていたのを見つけました。
そこですぐに価格をB社のものより下げたところ、すぐにB社も値段を下げてきた。
さらにそれを見て値段を下げるの繰り返し。

つまりお互い相手のHPに出ている値段だけを根拠に価格競争を勝手に始めてしまったのです。

お客様を置き去りにして、です。

笑い話のようなエピソードですが、実は同じような話はどこにでも転がっています。

飲食の世界でも似たようなことは起こっていますね。

同じエリアのお店同士がメニューやデザインや企画をパクリ合うことが日常茶飯事のこの世界です。

あるいは同じエリアでなくとも、ちょっと目立った繁盛店が生まれると、その店のメニューに良く似たものが至る所に溢れる。

繁盛店の行っていることを上手く消化して、自社の店舗に組みいれるならまだしも、お店の個性など関係なくそのままやってしまう例も良く見ます。

しかし、そういったことが起こることを「なぜ」と言っても仕方ないかもしれません。
それよりも大事なことを私達は忘れては行けません。

飲食店が相手しているのは、同業他社ではなく、お客様だということ。

自分のお店のお客様にとって意味のあることならばやればいいし、意味のないことはやる必要はない。

それだけのことです。

同業他社がどうであるかより、お客様にとって意味があるかないかを考えた方が、ずっと建設的だと思います。

そして何よりもお客様を基準にするならば、そこに意味のない競争は生まれないと思います。

 

 




島瀬武彦島瀬モノクロ横

1971年7月20日生まれ。山口県山口市出身。学習院大学フランス文学科中退後、家業の喫茶店の2代目として飲食店経営に関わる。山口県山口市徳地という山の中の田舎の立地に苦戦する中で、神田昌典氏が主宰する「顧客獲得実践会」に参加。通販業界が使うダイレクトレスポンスマーケティングの手法を飲食店の集客に応用することで売上を劇的に改善。2004年よりマーケティング・戦略コンサルタントとして活動。2014年よりフードスタジアム九州編集長を務める。

Title:【ミシュラン掲載店を訪ねてVo.1】一つ星 黒崎 御料理 まつ山

水は高いところから低いところへ流れる。

飲食店の料理のムーブメントは、往々にして高級業態の動きから始まる。
福岡のこれからの飲食店の料理がどのような動きをこれから持つのか?
それを知るために高級業態の華といえるミシュラン掲載店に注目し、それらのお店が何を考え、何を志し、何を作ろうとしているのかを追跡する「ミシュラン掲載店を訪ねて」。

その第1回は黒崎の日本料理店、ミシュランガイド一つ星を獲得した「御料理 まつ山」に注目した。

サブ1

 

北九州市黒崎にある「御料理 まつ山」の料理は1つ1つが技巧的でありながら、同時にその技巧がなぜ使われているのかが明確である。
それは店主・松山相三氏の柔軟な思考と、たゆまない勉強の成果による。

例えば“もみじ鯛の松皮造り”。
パッと見では決して変わった料理とは言えない。
しかし、そこで重ねられた技巧は、先ず鯛の旨みを引き出すために2日間熟成させるとことから始まり、その身を厚めに切ることでその旨みがしっかり味わえるようにしながら、同時に皮を縦に2つに割るように切れ目を入れることで皮の固さを感じさせない工夫がされている。

それだけではない。その切れ目の間に挟めるようにと添えて出されるのが、小豆島の塩昆布。松山氏曰く「昆布〆にすると鯛の風味が昆布に負けてしまいます。でもこうやって鯛と塩昆布を一緒に食べることで昆布の風味と鯛の味の両方を楽しめる。口の中で瞬間昆布〆にするんですよ」。
その言葉通りに塩昆布を挟んで食べる鯛のお造りは、鯛そのものの味わいを主にしながら昆布の旨みが一緒になって口の中で溶けあい、ただ醤油をつけて食べるだけではない新鮮な印象を与えてくれる。

その料理が一番美味しくするためには何をするかを突き詰めて考え、そしてそれに合わせた提供法を積み重ねる。

そこには松山氏の料理人として「美味しいものを食べて、その時間を楽しんで頂きたい」という想いが表れている。

"もみじ鯛の松皮造り"皮に切れ目を入れ塩昆布をはさんで食べると口の中で「瞬間昆布〆」が完成する。

“もみじ鯛の松皮造り”皮に切れ目を入れ塩昆布をはさんで食べると口の中で「瞬間昆布〆」が完成する。



 

その想いを象徴するような料理をもう1つ紹介しよう。

取材当日は11月下旬。「いつもなら最初は季節の前菜を出すのですが」ということわりと一緒に出てきたのが“北海道産の手打ちそば”。
新そばの季節だけ出される料理だが、そこでは通常のそばと違いそばつゆが添えられていない。

その代わりに添えられているのは昆布出汁を塩で味を調えてエスプーマにかけて作られた泡。

そばつゆではなく真っ白な泡が出されて来ることにびっくりするが、松山氏はその泡の理由をこう答える。
「新そばの風味は繊細なので、前から醤油ベースのそばつゆではその風味を損なうと考えていました。新そばだからこその風味を存分に感じて頂くための工夫です」

その一言には、そばが好きな人間ならば「なるほど」とうなずく説得力がある。

"北海道産の新そば"店主自らが朝手打ちし、新そばの風味を活かすために昆布出汁と塩で作られたエスプーマの泡でいただく。

“北海道産の新そば”店主自らが朝手打ちし、新そばの風味を活かすために昆布出汁と塩で作られたエスプーマの泡でいただく。



 

サブ2
 

「まつ山」店主松山相三氏は現在33歳。
飲食店を志したのは25歳の時と、決して早いスタートではない。

20代前半は自動車の整備工を務めるが、お客様と接する機会が少ない自動車整備の仕事は「自分に向いていない。お客様と接する仕事がしたい」と転職。
その後、佐賀でフランチャイズのたこ焼き屋を開業したが、その時に佐賀のとある小料理屋のオーナーと知り合ったことが松山氏にとっては運命の出会いとなった。

そのお店は堅実でしっかりした料理を出しながらも酒の種類も豊富で、まだ料理の世界に足を踏み入れていない松山氏から見ても「美味しくていい店」と言える店だった。
何よりもその店の女将がまさに名物女将といえる存在で、料理を楽しみ、女将とのやり取りを楽しむその店の雰囲気に触れた時、自然と「飲食がやりたい」という想いが生まれたのだった。

その後、改めて飲食店の経験を積むために小倉のカウンター割烹の店や200名の席数を持つ大箱店に勤務し、修業を積み重ね、30歳になった2011年8月に「まつ山」をオープンさせる。

黒崎駅から徒歩5分。駅前のにぎわいを抜けた場所にひっそりとたたずむ「まつ山」

黒崎駅から徒歩5分。駅前のにぎわいを抜けた場所にひっそりとたたずむ「まつ山」



 

「まつ山」は席数16という小さなカウンター割烹のお店だ。
それは飲食を志したきっかけになった小料理店や、修業した小倉のカウンター割烹の店を踏襲したスタイルとも言えるが「お客様と接する仕事がしたい」という松山氏の気持ちからすると当然の選択だったろう。

そこで出される料理は開業当初は修業したカウンター割烹の店のスタイルを踏襲していたが、そこから松山氏は自分の料理を確立するために目を全国に向けた。
店の休みを利用しながら積極的に日本の高級業態の和食を食べ歩くことを始め、特に関西に関してはミシュランで星を取った和食の店は全て訪問。さらには「ここは」と感じた店はベンチマークして定期的に訪問することで、その店の持っている要素を徹底的に研究したのだった。

それらの店に通いながら松山氏の中にあった気持ちは「自分の料理と比べてどうなのか?」というもの。
特にベンチマークした店に関しては定期的に通うことで、その時の自分のレベルを客観的に見ることが出来、以前は足元にも及ばなかった要素に手が届くようになったならば、それは自分への自信に繋がり、まだ足りていないと感じる部分があれば、そこから刺激が与えられる。

そうやって松山氏は関西の有名店に通いながら、1つ1つ階段を上るように自分の料理を確立して行ったのだった。

「これが自分の料理と言えるものが出来始めたのはここ1年ぐらいです」と語る松山氏。
その松山氏自身の思う自分の料理とは、料理の見た目の印象・提供方法・料理を出す順番やタイミング、それらを通してインパクトのある料理を作ることという。

先に紹介した新そばが良い例だろう。
先ず前菜の代わりにそばを出す大胆さ。
そしてそのそばにそばつゆがなく代わりに出されるエスプーマで泡にされた塩と昆布出汁。
そのインパクトは、お客様の期待を良い方向へ裏切り「まつ山」の料理を印象つけるに充分なものである。

エッセンス

 

サブ3

 

ただし、インパクトのある料理といっても「珍しさ」や「新しさ」といった要素だけを松山氏は追いかけてはいない。
エスプーマなどの新しい技術も積極的に取り入れながら、それでも根本は「和食であること」に松山氏はこだわる。

例えば11月のコースの焼物として出された“鹿児島産黒毛和牛の炭火焼”。
鹿児島のA5黒毛和牛の中からさらに100頭のうち4頭しか取れない「4%の奇跡」と言われる特別な肉を、62℃で3時間かけて真空低温調理を施し、肉の組成を壊さずじっくり火を通した上で、炭で炙る。
さらに京都の九条ねぎ味噌を乗せて食べることで、肉の柔らかさ、旨み、風味、味噌の味わい、葱の風味が一体となって口の中で蕩ける。
見た目はシンプルだが、見た目以上に手をかけることで極上の味を引き出している。

この料理のポイントは味噌を使うこと。
真空低温調理と言う洋食由来の技巧を使うが、それはあくまでも素材を美味しく調理するための工夫であって、そこに味噌を使うことでこの料理は洋食ではなく和食になる。
牛肉に味噌を合わせると言う先人の培った工夫をベースに、それをさらに美味しくするために新しい調理法を取り入れているのだ。

「私の作る料理で新しい要素はほんの少しです。殆どはベーシックな和食の技術ですよ。ただしほんの少しの新しい要素を入れることで、違う見せ方をしているのが『まつ山』の料理です」
そこで違う見せ方をすることで、高級業態の料理を食べ慣れていない地元黒崎のお客様に対して分かりやすいインパクトを与え、さらにカウンター割烹というスタイルの中で使われている食材の価値を直接お客様と会話をしながら伝え、お客様に美味しく楽しい時間を過ごして頂く。

それが松山氏が理想とするスタイルなのだ。

黒毛和牛

“鹿児島産黒毛和牛の炭火焼”洋食の技法を使いながらも和食の味を作る。



 

最後に松山氏に「ミシュランの調査員に『まつ山』のどこが評価されたと思いますか?」と質問した。

「まず季節感のある料理。印象に残る料理であったこと。京都・大阪では当たり前にやっているようなことをこちらでやっていること。何よりも地元の食材を使うことで生まれる臨場感。それらがミシュランの審査員に評価された要素だと思います」

そこで語られた言葉はミシュランという枠も高級業態という枠も越えて、今の飲食店に押し並べて必要な要素ではないだろうか?

季節感やインパクトはもちろんのこと、外にある新しい要素を積極的に取り入れながら今の時代に合わせた表現を作り、なおかつ地元だからこそできる臨場感を生み出す。

そこに、これからの九州の新しい料理の可能性が垣間見えるのだ。

「まつ山」店主・松山相三氏。まだ33歳の若さ。これからの活躍が楽しみな若手料理人。

「まつ山」店主・松山相三氏。まだ33歳の若さ。これからの活躍が楽しみな若手料理人。



 

店舗データ

店名 御料理 まつ山
住所 福岡県北九州市八幡西区藤田2-1-10
アクセス JR九州鹿児島本線・黒崎駅下車。黒崎駅南口を東へ徒歩5分。
電話 093-642-2278
営業時間 ランチ 12:00~13:00(L.O) ディナー17:30~21:00(L.O)
定休日 日曜日(但し日・月連休の場合日曜日は営業)
坪数客数 16席
客単価 15000円

Title:【COLUMN Vo.7】今のお客様が望むお店とは

今日、夜の天神を歩いていました。
街はすっかりクリスマスに彩られ、それだけを見るならば例年と変わらない風景です。
しかし、歩く人の数が多くない。12月の喧騒とはちょっと違う雰囲気の天神でした。

年々、年末の忙繁期が遅くなっているという話はよく聞きます。
今年もそんな雰囲気が漂っていますね。
もしかすると自分の気のせいかもしれません。

しかし、少しだけ不安な匂いを嗅いだ天神の夜でした。

 

さて、年末に限らず、年々、中小企業の商売は難しくなってきていると感じています。
それは、お客様の嗜好や価値観がどんどん多様化して「こうすれば、こうなる」という単純な思考が成立しなくなってきているからです。

私は2000年代初頭に中小企業向けのマーケティングを学んだ人間ですが、その頃はまだ「客層」と言えるものが確かにありました。
あるボリュームで共通した年代の共通した嗜好を持ったお客様の集まり(市場)がその頃はまだ存在したのです。

その時期、ある方に「マーケティングって何ですか?」と質問され、私はこう答えました。

「マーケティングとは“的を射る”作業ですよ。どんなお客様がどんな生活の中でどんな商品やサービスを望んでいるかを考え、その商品・サービスを揃え、お客様に届けることででお客様の気持ちを打ち抜くこと。それがマーケティングです」

この答えは今でも間違っていません。
マーケティングというのはそういう作業です。

しかし、10年前と今を比べた時に間違いなく言えるのは、以前は1つの的を1本の矢で射ぬくことを考えれば良かった。
しかし、今は同時に複数の的を複数の矢で射ぬく作業が必要になる。

特定のマーケットだけに狙いを絞って的を射ぬこうとしてもマーケットそのものの厚みが10年前よりもはるかに小さい。
それは、お客様の価値観や嗜好、ライフスタイルが多様化することで同じ価値観や嗜好を持った人の集まり・市場のボリュームがどんどん小さくなったからです。

極端なことを言えば、今は1万人のお客様に合わせた商売ではなく、1人のお客様に合わせた商売が必要になっている。

しかし、それがもしかすると今飲食店に最も求められていることなのかもしれません。

1人のお客様のために心を砕いて、その方が笑顔になるよう努めること。

現場レベルのサービスの話ではなく、店のあり方としてそれが実現出来る“幅のある店作り”、それが今求められていると言えます。

 

今、繁盛しているお店を見るとそういった幅を感じさせる店が多いことに気が付きます。

例えば居酒屋であれば、居酒屋の持つ多様な要素を1つにまとめてパッケージ化したようなお店(あるいは場所)に人が集まっている。
そう書くと思い当たるお店は幾つかあるのではないでしょうか?

 

逆を言えば、多様な選択肢を1か所で選べる自由さ。

そういう自由さのあるお店こそが、今のお客様が望んでいるお店の形なのです。

 

 




島瀬武彦島瀬モノクロ横

1971年7月20日生まれ。山口県山口市出身。学習院大学フランス文学科中退後、家業の喫茶店の2代目として飲食店経営に関わる。山口県山口市徳地という山の中の田舎の立地に苦戦する中で、神田昌典氏が主宰する「顧客獲得実践会」に参加。通販業界が使うダイレクトレスポンスマーケティングの手法を飲食店の集客に応用することで売上を劇的に改善。2004年よりマーケティング・戦略コンサルタントとして活動。2014年よりフードスタジアム九州編集長を務める。


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