九州・山口の飲食店、レストランの新しい潮流を発信するビジネスサイト「フードスタジアム九州」

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Title:11/25 沖縄西原町に「新大衆酒場 にっぽん丸かじり」オープン

11/25 沖縄県中頭郡西原町に、『新大衆酒場 にっぽん丸かじり』がオープンした。
運営は、沖縄県を中心に飲食店を展開し、鮮魚の小売・輸出も手掛けるバリューボックス(屋良 竜紀氏代表)。

本業態はFC展開を予定し、既に商標も取得。
店名は、”『にっぽん』のうまい食材、ドリンクを『丸かじり』し、リーズナブルに提供する”という意味を込める。
そのため、オーナー自ら日本全国の仕入れ先を開拓し、精肉・鮮魚を現地より直送している。

バリューボックスの既存業態である『本マグロ炉端劇場魚島屋』と大衆酒場の間の層を狙い、商品単価は120円~555円とする。ラ来年2月に2号店を出店予定。

■店名: 新大衆酒場 にっぽん丸かじり
■住所: 沖縄県中頭郡西原町字小那覇639
■電話: 050-5285-0227
■営業時間: 月~日、祝日、祝前日: 17:00~翌0:00
■定休日: 未定
■席数: 48席
■客単価: 2,500円

Title:11/15(火)16(水)17(木)の3日間、マリンメッセ福岡にて”[九州]外食ビジネスウィーク”開催

11/15(火)16(水)17(木)の3日間、マリンメッセ福岡にて”[九州]外食ビジネスウィーク”が開催される。

[九州]外食ビジネスウィークは、約150社※の出展企業と約20,000名(※見込み)の外食業界関係者・バイヤーが集結する、九州最大の外食業界に特化した専門展示会。新設の[九州]地産地消パビリオンを同時開催する。

本展示会では最新の食品・飲料・設備・サービスが一堂に集結することに加え、確かな実績を持ち、外食業界で注目を集める飲食店経営者や業界のエキスパートを講師に招いた「専門セミナー」や2016年に発表された「新商品コレクション」など業界最注目の特別イベントも開催する。

なお、本展示会では、フードスタジアム東京編集長佐藤こうぞうの専門セミナーも開催。
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【テーマ】「大転換期の外食マーケットの今と未来を読む!月間、坪50万円を越える超繁盛店づくりのノウハウとは?」
【特別ゲストセッション】
  博多の超繁盛店「フィッシュマン」ヒットの秘密 「顧客が歓喜する新しい居酒屋のつくり方」
株式会社M&Co代表取締役 森智範氏、フードスタジアム九州編集長 島瀬武彦氏
【日時】11月15日(火) 13:30~15:00
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[九州]外食ビジネスウィーク開催概要

◆開催日
2016年11月15日(火)・16日(水)・17日(木)
10:00~17:00
◆会場
マリンメッセ福岡
◆公式URL
http://www.kyushu-gaisyokubusiness.jp/

Title:【COLUMN Vo.15】お客様に意味のあるお店を

以前、他業種から飲食店に参入されたある経営者の方とお話をしている中で、こんな言葉をお聞きしました。

「飲食店というのは”待ち”の業種なんだね」

確かに、その方が本業とされる業種は営業職が外回りをしながらお客様を掴まえて来ることで売り上げが成立していました。
そのような業種を経験されているとお客様のご来店を待つ要素の強い飲食店から”待ち”という印象を持つのは当たり前かもしれません。

しかし、飲食業をしっかり取り組んでいる経営者の方々はご存じだろうと思います。
飲食店は決して”待ち”の業種ではありません。

実際、飲食店でお客様にどうやって来て頂くかを考えずにお店をやられる人は少ないと思います。
(というか、少ないと思いたいです)

集客という観点で言うならば、飲食店でお客様が目に触れ、舌で味わい、その体感で得られる物のすべては

①新しいお客様にどうご来店頂くか?
②来て頂いたお客様にどうリピートしていただくか?

この2点だけに集約されていると言っても過言ではありません。

逆に、この2点に全てが集約されているお店はお客様から見ても「ここは自分たちにとって意味のあるお店」と感じてもらえる店になっていると思います。

その店がどのような立地にあり、どのような外観やサイン等でその店をアピールし、どのような業態でお客様の用途に合わせ、どのようなメニューでお客様の笑顔と話題性を作るのか?
あるいはどのような内観・雰囲気でお客様にその時間を過ごして頂き、どのようなサービスを行うことでお客様を魅了するのか?

食べログで例えば「福岡市」というキーワードで飲食店を検索すると、そこで出てくるのは14053件という店舗数です。

福岡市で1万を超えるお店の中から自店を選んでもらう。

そのためにすべきことは山のようにあり、同時にその山のようにある行動をすべて「お客様にご来店頂くため」に集約していく必要がある。

飲食店は決して待ちの業種ではありません。

もちろんそれは、実際に飲食店を経営されている方にしてみれば「そんなことは分かっている」ことかもしれません。

ただし、もし自店の売上が伸び悩む方がいらっしゃれば、もう1度自店の今の姿を客観的に見られてみれは如何でしょうか?

お客様にご来店頂くということは決して簡単なことではないと思います。

そこですべきことは山のようにあり、同時にそれを全て行うことはとても大変なことだとも思います。

そうであっても、お客様は自分たちにとって意味のあるお店は決して無視はしないと思います。

もしかするとそう思うのは私の思考が単純だからかもしれません。

だとしても、お客様にとって意味のあるお店がもっともっと増えて欲しいな、と私は思っています。

 

 




島瀬武彦島瀬モノクロ横
1971年7月20日生まれ。山口県山口市出身。学習院大学フランス文学科中退後、家業の喫茶店の2代目として飲食店経営に関わる。山口県山口市徳地という山の中の田舎の立地に苦戦する中で、神田昌典氏が主宰する「顧客獲得実践会」に参加。通販業界が使うダイレクトレスポンスマーケティングの手法を飲食店の集客に応用することで売上を劇的に改善。2004年よりマーケティング・戦略コンサルタントとして活動。2014年よりフードスタジアム九州編集長を務める。

Title:【九州の器 Vo.3】世界一のレストラン「Noma」に選ばれた器~福岡県うきは市 陶芸家 大村剛

◆世界一のレストラン「Noma」による日本の再評価

今年の1月に飲食業界に大きなインパクトを与えたビックイベントが発生した。
それは「世界のベストレストラン50」にて過去に4度1位を獲得し、現在”世界一のレストラン”を言われているデンマークの「Noma」がマンダリン・オリエンタル・東京に約1カ月の期間限定出店を行ったことだ。

「Noma」の存在はただデンマーク・コペンハーゲンに「美味しいお店がある」というレベルのものではない。
科学的な研究を背景にした新しい調理技法を生み出し、それらを次々と世界に発信し驚愕をもたらしたスペインの「エルブジ」。その「エルブジ」で修業したシェフのレネ・レゼピ氏により生み出される斬新なアイデアにあふれる料理を、さらに「Noma」のあるその場所(デンマーク)で手に入る食材や器などにこだわって表現することで、これまで注目されてこなかったデンマークの食材の数々が再評価され、さらにその影響の中で新しいデンマークの食文化が「Noma」を中心に生まれたのだ。

その結果デンマークに来る観光客の目的が「美食」に切り替わり、年間の観光客数が11%増加するという社会的な変動をたった1軒のレストランでしかない「Noma」が実現させてしまったのだ。

その「Noma」が日本に出店するにあたりデンマークの食材や器をそのまま持って来るのではなく、日本の食材や日本人の陶芸家が作る器、さらに日本の職人が作る調度品に至るまで入念なリサーチを実施し、日本という場所で手に入るものにこだわった”日本の”「Noma」を表現。

「Noma」を通して日本を再評価する試みがそこで行われたのである。

その「Noma」日本出店に当たり日本の器の1つとして選ばれた陶芸家が福岡県うきは市にいる。

陶芸家・大村剛氏がその人である。

福岡県うきは市に工房を構える大村剛氏

福岡県うきは市に工房を構える大村剛氏



 

◆自分と向き合うことで生まれた作風

現在38歳の大村氏は自分の子供の頃のこのことを「難しい子供だったと思います」と言う。好き嫌いがはっきりしたエキセントリックな面があり「今は自分に子供が出来て分かりましたが、そんな子供を両親がよく育ててくれたなと思っています」と。

ただ、同時に表現欲求は子供のころから強くあり、将来は「画家になるんだ」と思い続けていた。
何かを表現したいという気持ちを外に出さないと生きていけない。
そんな感覚をずっと持っていたのだ。

画家になるというのは表現欲求を発揮できる職業を他に知らなかっただけ。
しかし、現在の陶芸家・大村剛になる準備は子供のころからじわりじわりと行われてきたとも言える。

そんな大村氏が陶芸の道に入ったのは、20歳の時に岩田圭介氏の器に出会ったことがきっかけであった。
両親が福津市で経営する飲食店で使われることになった、同じ福津市在住の陶芸家である岩田氏が生み出した器。
それを見た時、その肉厚で生命力にあふれる表現に魅了され、陶芸による表現の可能性の高さを感じたのだ。
そして「好きになっちゃったから」と、すぐに岩田氏に弟子入りを志願することになる。

岩田氏の下で1年間弟子として修業をした後、岐阜県の多治見工業高校陶磁科学芸術科に入学。
卒業後は同じ多治見市にある貸し工房で器を焼きながら自らの作風を模索し、2007年にうきは市の現在の場所に窯を開き今に至る。

大村氏の作風は師匠である岩田氏のものとは大きく違う。
大胆で型にはまらない岩田氏の器に対して、一見すると鉄器のように見える薄くメタリックな質感をもった器が大村氏の作風。

その違いは1年間修業した師匠に最後に言われた言葉による。
多治見の学校に入ることになり自らの下を去ることになった大村氏に岩田氏が言った言葉。

「1年間ここで見たものはすべて忘れろ」

それは大村氏にとっては呪縛のような言葉だったかもしれない。
しかし、その言葉があったことから大村氏は”自分の器”を模索し続けることになる。

多治見での学校生活からの貸し工房での作陶に続く日々は、自らに向き合う作業であった。
自分が何を表現したいのかを模索する日々。
師匠が轆轤(ろくろ)をあまり使わない人であったので、自分は轆轤にこだわり器を作り続けた。
その中で今の作風に行き着いた背景には自分自身のエキセントリックな嗜好がある。

「昔から金属が駄目なんです。特に金属と金属がぶつかる音がどうも生理的に受け付けない。全然駄目なんです。だからスプーンやフォークはすべて木製を使っています。でも同時に金属が苦手だから金属にあこがれがある。だから金属で出来ているように見える器を作っているのです」

子供の頃から抱えているエキセントリックな好悪の感情を否定することなく、それを受け入れることで生まれている今の大村氏の器。それは師匠の「すべて忘れろ」という言葉に端を発し、自分と向き合う姿勢を持ち続けたが故に生まれた作風であったと言える。

パっと見は鉄器に見える金属的な風合いが特徴の大村氏の片口

パっと見は鉄器に見える金属的な風合いが特徴の大村氏の片口



 

◆「Noma」の盛付けのイメージから始まった皿作りと、現実の「Noma」

不思議な縁がある。
それは「Noma」との縁。

大村氏が独立当初主に作っていたものは片口などのいわゆる「タチモノ」と言われる器が中心で、皿はあまり作っていなかった。

自分の焼いたお皿をどのように使ってもらえれば料理がより美しくなるのか?
そのイメージが中々自分の中に沸いてこない。
だからこそ皿を積極的に焼こうという気持ちになりにくかったのだ。

その大村氏の気持ちをひっくり返したのが「Noma」であった。
「Noma」が出版したレシピ本、そこで表現されている数々の料理と器。
それを見た時の印象を大村氏はこう語る。

「すべてが過不足ない完璧な一皿がそこにはありました。ビジュアル的に余計なものが1つもない。器を含めた全ての要素が料理を美味しく美しく見せている。こう盛ってもらえるならば器が料理を引き立てるんだと目の前が晴れるような気がしました。そこからNomaに盛付けしてもらうことをイメージして皿を焼き始めたのです」

そこで描いたイメージは本来なら叶わない淡い夢のようなものだったはず。
しかし、その夢は「Noma」日本出店にあたり器類の調達を行っていた「アーツアンドサイエンス」からの電話で現実のものとなった。

たまたま「アーツアンドサイエンス」のスタッフが持っていた1枚の大村氏が焼いた皿。
その皿が決め手になり大村氏の器が「Noma」が日本で使う器の1つとしてオファーが入ったのだ。

大村氏が「Noma」に依頼されて準備したのは28cmと20cmのプレート、そして10cmの小皿の3種。

特に28cmのプレートは今回の「Noma」の料理の中でも話題になった「野生の鴨」に使用されたもの。北海道・青森・秋田など日本の各地で獲れた野生の鴨の丸焼をそのままプレートの上に乗せてお客様に見せる大胆なアプローチが雑誌メディアにも掲載され、そのビジュアルをご覧になった方も多いだろう。

この野生の鴨の盛付けに大村氏は
「器と鴨を1対1で扱ってもらえたと感じて嬉しかったです。目の前にある物と物の両方をきちんと見据えて組み合わた盛付けだと思います」
と、その印象を語っている。

それは大村氏が思い描いた「Noma」による自らが器に盛付けられた”過不足のない一皿”に間違いはなかった。

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「Noma」の日本出店のために用意した3種の皿。20cmと28cmのプレートと、10cmの小皿。



 

◆「Noma」は夢の終着点ではなかった

「Noma」へ皿を出した影響で仕事はやはり忙しくなった。
意外と飲食店の仕事は殆どなかったが、付き合いのあるギャラリーからの注文は確実に増えた。

「Noma」に選ばれたことは夢の実現でもあったし、良い影響は確実に出ている。

しかし、大村氏自身はすでに次を意識している。

「以前どこかで聞いたのですが、お箸を使う時に人間は自分の指だけではなく箸の先まで神経が届くそうです。であるならば、轆轤を回した時に私の心は轆轤まで届いているのではないか?そして、そこから自分の精神をそのまま焼き付けた器が出来るのでは?と考えています」

それは言葉にすると抽象的すぎて漠然としているが、イメージはある。

例えば工業的な量産品の器。
そこで生まれる直線は、機械的なただの直線でしかない。
そして、そういう線しか持たない量産品はただの物でしかない。

大村氏自身はそんなただの物でしかない量産品を手に持つと「違和感ばかりで使い続けられない」と感じている。

しかし、人の手によって真っすぐな線を作った場合、その線が機械的な直線と同じような線であっても、印象は全く違う。人の手が作る線を持った器はただの物にはならない。

その微妙なニュアンスの中に大村氏は自らのこれからの器作りの表現をイメージし始めているのだ。

うきは市にある大村氏の工房は携帯の電波も届かない山の中腹にある。
現代の”山の庵”のような工房で、大村氏は自らに向き合いながら作陶を続けている。

「何かを表現したいという気持ちを外に出さないと生きていけない」と感じていた少年の一途さ。
工房で黙々と仕事をする大村氏からは、そんな一途な少年がそのまま大人になって、食事をするように、水を飲むように、睡眠をとるように、表現に向き合い続ける1人の陶芸家の姿が垣間見える。

「Noma」が夢の終着点ではなかった。
大村氏の作陶は、今もまだ道の途中なのだろう。

うきは市の山の中腹にある古民家を利用した大村氏の工房。山の庵の風情がある。

うきは市の山の中腹にある古民家を利用した大村氏の工房。山の庵の風情がある。



 




大村剛氏の作品に対する問い合わせは下記の店舗までお願いします。

4月の魚
福岡県うきは市吉井町1133−5
電話:0943-75-5501




 

Title:【伝説の店 Vo.3】博多だるま総本店~リアリズムとエモーショナルのバランスの中で生まれるラーメン

◆客観的な冷めた視点と、主観的な熱い想い

「元々自分はラーメンはそんなに好きじゃかなったんですよ」

そう屈託なく笑いながら語るのは、福岡の人気ラーメン店「博多だるま」を経営する有限会社D&H inc./D&K inc.の代表・河原秀登氏。

「博多だるまラーメン」は河原氏の父である河原登氏が開業し、その歴史は創業50年を超える。

河原秀登氏はその2代目であるが、ただ単に伝統を守るだけの2代目とは違う創業者チックな視点を持っている。

何と言えばいいのだろうか?
リアリスティックな思考と、エモーショナルな想いを交錯させながら、どちらかに傾きすぎないように行動する、絶妙なバランス感を持つのが河原氏なのだ。

そのリアリスティックな面が「ラーメンは好きじゃなかった」とさらりと言わせ、博多名物のとんこつラーメンという料理を客観的に見る視点を持ちながら、同時に「とんこつラーメンも博多の文化ですから、ラーメンを通じて博多の文化を世界中に向けて紹介したいんです」というエモーショナルな”想い”を持った経営を行っている。

その客観的な冷めた視点と、主観的な熱い想いという、ともするとどちらかに傾きがちになる2つの要素を1つのものとして抱き合わせに出来るバランス感覚。
河原氏のお話を聞いていると、そのバランス感覚の中に「博多だるま」が50年以上の歴史を刻みながらも今でも人気店であり続けている秘密があると感じられる。

「博多だるま」「秀ちゃんラーメン」という2つの名店を経営する河原秀登氏。その経営のバランス感覚が2店の人気を生み出している。

「博多だるま」「秀ちゃんラーメン」という2つの名店を経営する河原秀登氏。その経営のバランス感覚が2店の人気を生み出している。



 

◆伝統を受け継ぎながら、同時に新しいチャレンジを行う

河原秀登氏は1966年生まれの48才。

「好きではなかった」という言葉通りに元々ラーメン屋を継ぐつもりではなかった。
高校卒業後大阪で和食の料理人として修業をし、福岡に帰って来てからも中洲で別の仕事をしながら父親の「だるま」を手伝うというどちらつかずの生活を送る。

その頃のラーメン屋というものを河原氏は「今のようにビジネス的に語れるものではなかった」と振り返る。
繁盛店と言える店もまだなかった時代であり、「だるま」を手伝っていても自分の人件費はほとんど出ない家内制手工業のような世界がラーメン屋だった。

しかし、23歳の時に「どうせやるならばしっかり打ちこんだ方が良い」とラーメン屋に打ち込む決意をし、さらに「27歳には自分の店を持とう」という目標を持ってラーメン一本の道へ進む。

その目標通りに27歳の時に立ちあげたのが現在D&H inc./D&K inc.の2本柱の1つでもあり、ニューヨークやカンボジアにもその存在感を示している「秀ちゃんラーメン」である。

さらに2000年には東区箱崎にあった先代の「だるま」が暖簾を下ろすあたり2代目としてその名を引き継ぐことを決め、中央区渡辺通1丁目に「博多だるま」を開業。

その際には、名前を受け継ぐにあたり先代が培ってきた伝統と技術も継承し、同時に全て同じことをするのではなく、今の時代に求められるラーメンとは何か?を新しく表現し直すというチャレンジも行うことで、「博多だるま」をこれから新しく歴史を作るブランドに作り直すという作業も行っている。

その伝統を受け継ぎながらも新しい表現へのチャレンジを同時に行うという姿勢の中に河原氏のバランス感覚が見えると同時に、だからこそそこに「博多だるま」が歴史を重ねながらも人気をさらに加速させた要因があるとも言えるだろう。

2000年12月に開業した「博多だるま総本店」。渡辺通り1丁目の裏路地にありながら昼夜お客様の絶えない人気店であり続けている。

2000年12月に開業した「博多だるま総本店」。渡辺通1丁目の裏路地にありながら昼夜お客様の絶えない人気店であり続けている。



 

◆全てが組み合わされて生まれる1杯のラーメン

河原氏が「だるま」の名称を引き継ぎ渡辺通りの「博多だるま」を開業する際に行ったチャレンジとは食材の見直しである。
先代河原登氏が生み出した独自の麺の製法とスープの取り方は受け継ぎつつ、麺の素材、スープに使われる素材を全て新しいもの切り替えたのだ。

そこで目指したのは「健康的なラーメン」。
ラーメンは日常食だからこそ体に良いものを口にして欲しいという気持ちの中から、化学調味料を使わず無添加の素材にこだわったラーメンを作り出した。

その試みが正解であったことは、「博多だるま」開業し15年経った今の食の状況を見れば分かるだろう。

今でこそ飲食店の世界では健康志向は当たり前のように語られるが、2000年当時に行われた河原氏の取り組みは正に”チャレンジ”と表現して良いものであった。
まだ業界全体の意識がそこに至らず、業者に無添加の食材を求めても持っていなかった時代。
ないものは自分達で作ろうとスタッフと共に仕込みに時間をかけながら取り組んだ古くて新しい「だるま」のラーメンの味は、そこで表現されたものが今の時代にマッチしていたからこそ福岡を代表するラーメンとして名を轟かすに至っている。

「博多だるま」で出されるとんこつラーメンの一杯には、おそらくそれが生み出される背景となった先代への想いもあるだろう。
あるいは、その先代を含めてとんこつラーメンという文化を生み出してきた博多の街への想いもある。
さらに、体に良いものを食べて頂きたいというお客様への気持ちもある。
同時に、今の時代のラーメンがどうあるべきかを考えた冷静な視線がある。
もちろん、繁盛店を作ろうとするビジネス的で客観的な意識もあるだろう。
それらの全てが、どれか1つか掛けても成り立たない断片として組み合わされバランスを取りながら表現された1杯。
それが河原秀登氏が生み出した、「博多だるま」のラーメンなのだ。

健康を意識した食材を使いながら伝統的な技法で作られる「博多だるま」のとんこつラーメン。

健康を意識した食材を使いながら伝統的な技法で作られる「博多だるま」のとんこつラーメン。



 

◆博多とんこつラーメンから福岡の文化を発信

その河原氏はこれからの展開については日本という枠を越えて世界的な視野の中で考えている。
既にニューヨークでは5年前に「秀ちゃんラーメン」を開業し、同店はニューヨークで巻き起こった「ラーメンブーム」の牽引的な存在として知られている。

同時に昨年はカンボジアにも「秀ちゃんラーメン」を出店し、東南アジアでのビジネス展開の生の感触もつかんでいる。
河原氏にとってアジアは「まだまだこれからのマーケット」であると言う。
出店においての法制面や税制面でのインフラ的な問題もまだ多くあり、同時に文化的な背景という面においてもラーメンが受け入れられる下地がまだ出来切っていないと感じている。

むしろ河原氏が今現在で可能性を感じているのはヨーロッパである。
それは昨年からパリにおけるラーメン店の状況を実地で見聞する中で「日本で名店と言われる店ばかりではなく、なんでもないラーメン屋までもお客様の行列が出来ているんです」という生の感触を感じてのこと。
「ヨーロッパにもラーメンの火が着き始めていますよ」と目を輝かせながら河原氏は語る。

河原氏の海外へ意識の背景には、自身が属しているとんこつラーメンの世界が福岡という地域を世界へ発信するための格好の文化的な要素だという考えがある。
「日本という大きな枠ではなく、日本の中の福岡をいう街を世界に紹介しようと思ったら、とんこつラーメンというのはとても紹介しやすいんですね。とんこつラーメンを食べてもらうことで福岡を知ってもらうきっかけが生まれますから」とは河原氏。
河原氏の海外への出店は、「福岡の文化としてのとんこつラーメン」を世界に紹介したいというエモーショナルな想いが原動力になっているのだ。

同時に国内への展開、特に「博多だるま」の今後の展開に対しては「もっと出店したいという気持ちはありますし、出店しないかと声をかけて下さる機会も多いですが、人を育てて行かないと無暗に出店できないので、意図的に店を出すのを控えています」とリアリスティックな視点で考えている。

ここにもまた河原氏のバランス感覚が顔を覗かせている。
アグレッシブであるが、同時に堅実的な面がここでも両立しているのだ。

さらに「人を育てる必要がある」と語る河原氏の言葉の背景には、単純に出店要員を作るという現実的な要素だけではなく「人を育てることが福岡らしさを生む」という気持ちがあるのも垣間見える。

河原氏は人を育てるという面では「店を任せるスタッフには名物店主になってもらいたいんです」と語る。

同時に河原氏に「外から来るお客様から見た時に福岡らしさと言うのはどこにあると思いますか?」と質問した際の答えが以下のものである。
「福岡の面白さを考えた時、そこにあるのは人の魅力ではないかと思います。こんな場所がある、こんな店があるというのではなく、この店に行けばこんな面白い人がいるという、その人に会いに行くのが面白いといえる魅力ある人が多いのが福岡でしょう」

「そこへ行けばこの人がいる」という魅力的な店主がいて、そこでは福岡の文化の一要素としてのとんこつラーメンが食べられ、それらを通して福岡らしさを感じてもらえる店。
そしてそこで提供されるラーメンは、製法や技術は伝統を守りながらも、表現は今の時代に合わせたものになっている。

伝統を守るという保守的な要素、時代に合わせるという革新的要素、ビジネス的なリアルな要素、福岡の文化を世界に知ってもらいたいというエモーショナルな要素、それらが一体になって進む「博多だるま」は、これからも博多とんこつラーメンの世界を牽引する名店として福岡で愛さる店であり続けるであろう。

理想主義的なエモーショナルな要素と、現実主義的なビジネス視点が1つにまとまるバランスの中で「博多だるま」は名店の名を手にしている。

理想主義的なエモーショナルな要素と、現実主義的なビジネス視点が1つにまとまるバランスの中で「博多だるま」は名店の名を手にしている。

店舗データ

店名 博多だるま 総本店
住所 福岡市中央区渡辺通1-8-25
アクセス 地下鉄七隈線渡辺通から徒歩5分
電話 092-761-1958
営業時間 11:30~24:30 (オーダーストップ.24:00)
定休日 元旦
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