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Title:【話題店チェック】薬院 炉端 氷炭 ~”今”の顧客感覚でデザインした大衆居酒屋

 

サブ1

 

「炉端 氷炭」の誕生は、ひょんな一言から始まった。
2013年6月、「とりのこ」での仕事が終わった後スタッフと飲みながら語った彼の一言。
「炉端も良いよね」
その一言で全てが決まり、全てが動き出した。

中央区薬院1丁目で(株)ひめ代表の下登昌臣氏が8年間運営をしてきた「とりのこ」というお店。
お客様の評価も悪くはない。
しかし下登氏はすでに次を求め、その答えを炉端に求めようとしていた。

「とりのこ」がオープンした8年前、下登氏が感じていたのはリーマンショック前の景気の良さを前提にした、客単価5000円前後のややアッパーなきちんとしたお店を求めるお客様の動きだった。一軒家をそのまま改装して作った小洒落た空間に、しっかりとした素材感のある料理。立地もあえて住宅街の中の隠れ家的な場所を選び、お客様が店に来店するまでの過程も含めたトータルなデザインを施した「とりのこ」は、確かにその時期お客様が求めていたお店であったし、それを裏付ける評価をもらえた店だった。

しかしそれから8年が過ぎた時、すでに時代が変わっていることを下登氏は肌で感じていた。お客様の飲食店の使い方は完全に2極化している。単価が高くとも予約してでもわざわざ足を運ぶ店と、日常的に使える普段着のようなお店。「とりのこ」はすでにその2極した使い方の間に入ってしまっている。予約する店として(株)ひめにはすでに「hime-ひめ本店」がある。ならばもう1つは低単価で日常使い出来るお店が必要だ。

その下登氏の感覚が言葉になって出たのが「炉端も良いよね」の一言であり、それから5ヶ月後の2013年11月「とりのこ」は閉店し、そのままその跡地にオープンしたのが「炉端 氷炭」であった。

2013年11月にオープンした「氷炭」。「とりのこ」に使っていた一軒家をそのまま使用している。

2013年11月にオープンした「氷炭」。「とりのこ」に使っていた一軒家をそのまま使用している。



 

サブ2

 

 

「氷炭」で下登氏が求めたもの。それは先ずは大衆居酒屋であること。炉端を研究する過程で見た東京の下町の居酒屋にあった雰囲気。それらの店は朝から営業し酒を出し、近所のお客様達がまさに普段着を着るように気軽に集まりお酒を楽しむ。
その雰囲気を、先ずは“人”に求めたのが「氷炭」である。

そのために「氷炭」ではキッチンを全てオープンにし、お客様がカウンターのどの席に座ってもキッチンが見渡せる配置を作っている。さらにキッチンとカウンターの間には通路を設置し、常にスタッフがお客様の眼の前に立って料理をお出し出来るようにしてある。

「氷炭」には “ホール”と“キッチン”の境界はない。料理人もまたお客様と直接会話しながら料理を作り、料理を出していく。下登氏がオープン時にスタッフに徹底して語ったのは「飲食業は接客業である」という点。それを前提に料理人も接客をすることが当たり前になる店内配置を作ることで、料理を作る人間とお客様の接触の機会を増やし、お客様に飲食店本来の楽しさや気持ち良さを感じて頂けるように配慮してあるのだ。

さらにBGMは昭和歌謡を流し、ホールスタッフの女の子には和服を着せ、まるで女将さんのような立ち振舞いをさせることで大衆居酒屋としての気軽さを演出している。

それらは全てが「氷炭」で働くスタッフの“人間味”を感じてもらうためのデザインである。

だからであろう、「氷炭」には人と人が触れ合う“温かさ”が感じられ、その温かさを求めお客様が気軽に足を運ぶ。

カウンターとキッチンの間の通路。この通路を設置することでお客様の前から料理を出すスタイルが生まれる。

カウンターとキッチンの間の通路。この通路を設置することでお客様の前から料理を出すスタイルが生まれる。



 

サブ3

 

料理も決して気取らず大衆居酒屋らしい気軽なメニュー内容に徹している。
しかし、そこで出てくる素材の質の高さは(株)ひめのこだわりをそのまま反映している。

特に糸島・満天農法の有機野菜をそのまま笊に盛って、自家製肉みそと共に客様の眼の前にどんと出すお通しのアプローチの上手さは秀逸。
笊に盛られた野菜も肉みそもお変りは自由。
先ずはこのお通しで「氷炭」の料理の素材の確かさと料理のスタイルの両方をお客様に感じて頂く。

特に糸島の満天農法の野菜は、下登氏はもちろんスタッフも畑へ直接足を運びその野菜がどのように生産されたかを現場で学んだもの。
だからこそ、最初のお通しから自信を持ってお客様に薦めることが出来る。

炉端メニューの華である刺し盛りは“今が旬”の魚を厳選。スタッフ自身が市場へも足を運ぶこともあるという。
さらに一夜干しの魚もまた旬の魚のみにこだわり、手をかけて自家製で仕上げる。

大衆居酒屋ではあるが、料理の素材選びと、料理そのものには手を抜かない姿勢。
そこもまた料理人の“人間味”が現れる部分であり、そこを通しても「氷炭」はお客様に“人が生みだす美味しさ”をお届けしようとしている。

(左)満天農法有機野菜のお通し (中央)旬の魚を厳選した刺身盛り合わせ・1580円 (右)自家製一夜干しカマス・780円

(左)満天農法有機野菜のお通し (中央)旬の魚を厳選した刺身盛り合わせ・1580円 (右)自家製一夜干しカマス・780円



 

サブ4

 

下登氏の経営者としてのスタンスは「先ずは自分がお客様になる」という点でブレがない。

お客様として見た時に「氷炭」がどう映るか?
その1点に集中して「氷炭」のお店としてのスタイルをデザインする。

それは二極化する飲食店の使われ方の中でより大衆的なお店が必要だと感じたところからも、飲食業とは何かを原点に立ち返り考え、その中で人間味と温かみのあるお店のスタイルを構築していった姿勢からも伺える。

料理に関しても何がお客様に必要かをお客様と同じ目線で考え、必要な要素を揃える。
実は現在のメニューも開店後1度全て見直して作り直したもの。
オープン後、一度売り上げが低迷した時期に「ちょっと全体に上品で値段が高すぎる」と感じた下登氏が現場にメニューの見直しを指示し、より大衆感のある低単価のメニューに組み直したという経緯がある。メニューの見直し後は月商も600万円台に入り売上推移も好調。
「あれがなかったら今でも売り上げが低迷して、しかも理由が掴めずに迷っていたかもしれません」とは安部勇太郎店長の言葉。
そこにも下登氏の顧客感覚の確かさが感じられる。

その反面、下登氏は自身のことを「商売下手」と笑いながら語る。
「商売が上手ければ流行に乗ってドンっと行くんだろうけど、むしろ逆方向ばかり考えるんです。流行は全く追いかけていません。それよりも自分が“今”面白いと思うことをやりたいと思っています」と。

「氷炭」がオープンした時期は福岡で炉端の店が立て続きにオープンした時期に重なるが、その動きに対しても「たまたま。狙ったわけではないです」語ってくれた。

「それよりも(良い意味での)期待を裏切るつもりで作ったのが『氷炭』です。狙った通り裏切れたと思っています。今の『氷炭』は自分でも居心地の良いお店になったな、と感じながら見ています。これから先は東京で見たお店のように朝から居酒屋営業してみたいですね。朝から飲む文化が福岡にはないから難しいかもしれませんが、今でも午後4時から営業していると年配の方が気軽に飲みに来られたりもしていますよ」

そう語る下登氏の言葉からは気負いもなく飲食店経営を楽しんでいる気持ちが伺えた。

下登氏のお客様として感じる面白いことが詰まった「氷炭」。
これからどんな成長をしてくれるのかを楽しみにしたい。

(株)ひめ 代表取締役 下登昌臣氏。自身の顧客感覚を軸に「面白いことをやりたい」と語ってくれた。

(株)ひめ 代表取締役 下登昌臣氏。自身の顧客感覚を軸に「面白いことをやりたい」と語ってくれた。



 

店舗データ

店名 炉端 氷炭
住所 福岡県福岡市中央区薬院1-4-21
アクセス 西輝薬院駅から今泉公園方面へ徒歩3分。
電話 092-731-4060
営業時間 16:00~24:00
定休日 日曜日
坪数客数 30坪50席

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Title:【伝説の店 Vo.2】西中洲 なか尾 ~研ぎ澄まされた戦略とその先にあるもの

 

サブ1

 

国体道路、春吉橋の横を那珂川沿いに北に向かい3差路の細い路地に入ったすぐの場所にある「博多酒魚家 なか尾」。黒塗りの外壁のそのお店は、「ひっそりと」と形容して良い静かな佇まいで西中洲の街に同化している。開業は2004年6月。今年で10年目を迎えるその店は、静かな佇まいとは裏腹に「西中洲にこの店あり」と言われる博多の有名飲食店の1つと言って良い。

同店を経営するのは(株)なか尾の中尾慎一郎代表。
かつては大名の「グリル ド しんちゃん」という博多を代表する居酒屋を経営し、さらには「もつ鍋 しんちゃん」で20数年前に東京で巻き起こったもつ鍋ブームを牽引した博多を代表する飲食店経営者の1人。そして現在も「もつ鍋 一慶」を博多だけではなく東京にも展開し、博多=もつ鍋というイメージを発信する「もつ鍋の伝道師」と言っていい存在だ。

「グリル ド しんちゃん」というお店の伝説を耳にしたことのある人も多いだろう。わずか11坪の店でありながら夕方から翌朝にかけて常時8回転を記録し、月商1200~1300万の売上を作る怪物店舗。多くのお客様に愛されつつ10年前惜しまれながら閉店した「グリル ド しんちゃん」だったが、そのDNAを受け継ぎ西中洲に開業されたのが現在の「なか尾」なのだ。

その「グリル ド しんちゃん」の成功を中尾氏は「その頃の大名には他にそんな店がなかったからね」とこともなげに言う。
しかし「なか尾」に対しても中尾氏は「10年前は西中洲にこんな店がなかったからね」と全く同じ言葉を発する。

実はそこに中尾氏の店作りに対する“戦略性”が垣間見える。

西中洲の路地にひっそりとたたずむ「なか尾」

西中洲の路地にひっそりとたたずむ「なか尾」



 

サブ2

 

 

大名の「グリル ド しんちゃん」から西中洲の「なか尾」へ。
その過程にあったのは先ずは大名という場所の変質だった。
「グリル ド しんちゃん」がオープンした29年前は中尾氏曰く「大名は何もない住宅地だった」そうだが、それから開発が進み飲食店、美容室、アパレルショップが立ち並ぶ福岡を代表する「若者の街」に変化する中で、街全体が若い人ばかりになってしまったことに中尾氏は違和感を持つ。
そこで場所を変えるために選んだのが西中洲。10年前の西中洲は料亭の街というイメージが強く、事実今でも博多の名だたる料亭が軒を連ねる場所であるが、同時に一本奥の道に入ると家賃がべらぼうに安い地域でもあった。
「なか尾」の家賃は坪4000円という。老舗料亭の立ち並ぶ那珂川沿いの立地だと坪2万円位することもあるという西中洲の中でもきわめて安い。

この家賃の安さを中尾氏は「これが生き残るコツです」と言い切る。

あえて立地の良い、同時に家賃の高いところで勝負するのではなく、家賃の安い=だれも見向きもしない場所に出店する。それは中尾氏が「グリル ド しんちゃん」で学んだ商売の要諦でもある。「グリル ド しんちゃん」の家賃も坪5000円。その当時誰も見向きもしない大名の住宅街の中という立地であったからこその家賃であると同時に、だからこそ「他にそんな店がない」場所で勝負が出来た。

同じことは(株)なか尾のもう1つの基幹店である「もつ鍋 一慶 春吉店」にも言える。同店の立地も春吉地域の奥。お世辞にも良い場所とは言えないが、その家賃はやはり坪5000円。今でこそ春吉地域は飲食店の集積地として注目されているが「一慶」を出した10年前は死んだ場所と言っていい立地だった。それでも中尾氏は「場所は死んでいても良い。お客様はこちらが集めるから」とあえて出店した経緯を持つ。

そして「なか尾」の場合も周りは料亭ばかりの立地の中、ややアッパーな価格帯ではあるがカジュアルな居酒屋業態での出店は、まさしく「他にそんな店がない」状態での開業と言えた。
「誰もが見向きをしない、10軒20軒と飲食店が連なる場所ではない、そんな場所で出来たのが良かった」と中尾氏は語る。

もちろん、ただ家賃が安い立地を選んだだけではない。
「なか尾」はその立地を前提にして客様を集める要素を押えた店作りを行っている。

ここにもまた中尾氏の戦略性が表れている。

「なか尾」より半年遅れてオープンした「もつ鍋 一慶 春吉店」。春吉地域の奥。決して良い立地とは言えない場所での出店に中尾氏独特の商売のコツが垣間見える。

「なか尾」より半年遅れてオープンした「もつ鍋 一慶 春吉店」。春吉地域の奥。決して良い立地とは言えない場所での出店に中尾氏独特の商売のコツが垣間見える。



 

サブ3

 

飲食店が良い立地を狙う理由はただ1つ。それは立地によって集客の効率が大きく変わるからだ。人通りの多い道沿いの路面店であれば店の構えそのものが広告効果を持ち、同時に「あの場所に新しい店が出来た」という話題性と口コミ要素を持つ。

しかしどこにあるか分からない場所に店を構えた場合、どうやってお客様を集めるのか?
そこにはそのお店の持つ戦略性が大きく影響する。

「なか尾」が取った戦略、それはまず中洲という福岡を代表する繁華街に寄り添っているという立地条件を活かすことから始まった。中洲に数多くあるクラブ・ラウンジ・スナック。そのお店のママさんやホステスさんにとって同伴で使い勝手のいい店に徹すること。
コアなお客様をそこに設定することで「なか尾」は“あえてその店を選ぶ理由”を作っていく。

例えば中洲の同伴のお客様が焼魚を注文された場合、通常のお店であれば1本をそのまま出していく。もう少し気が利いた店ならば「切り分けましょうか?」とお聞きするが「なか尾」の場合は聞かずに最初から切り分けて出す。なぜならば同伴のお客様とは言え「好きでもない男と同じ皿の魚をつつけない」というのがホステスさんの本音、それを見越して最初から別皿に分けて出すのだ。

あるいは同伴の場合、予約もまたホステスさんがしてくることが多いが同時にキャンセルも多い。そのキャンセルを快く受け入れる対応も心がけている。
そうすることで気兼ねなくまた使っていただけるようにするためだ。

また「なか尾」の料理コンセプトは「博多の郷土料理屋」だが、そのコンセプトに沿いつつも「中洲のホステスさん達は1万前後の単価のお店に行き慣れている。そこのローテーションに入れてもらえるように『飽きさせない工夫』をするように」と現場に指示を出しながらメニューを組んでいる。

そのように中洲のママさんやホステスさんの事情や気持ちを理解してあげ、「中洲の人達にとって使いやすい店」になることで「なか尾」はお客様に支持され愛される店になっているのだ。

もちろん「なか尾」に来るお客様は中洲のお客様ばかりではない。地元のお客様も当然のごとく多いが、それ以上に目に付くのが観光客の多さだ。
特に観光客向けの販促を打っているわけではない。それでも観光客が集まる背景には、コアなお客様の評価がある。中洲の人達から得た評価から「地元の人が美味しいという博多の郷土料理の店」というポジションが確立され、そこから観光客が自然に集まる流れが出来ている。

事実、「博多に来たら『なか尾』」という県外のお客様や東京の芸能人のファンが多いのも「なか尾」の客層の特徴だろう。

落ち着いた雰囲気で“博多の郷土料理”を楽しめる「なか尾」の店内。

落ち着いた雰囲気で“博多の郷土料理”を楽しめる「なか尾」の店内。



 

サブ4

 

なかおの戦略性

 

「なか尾」の持つ戦略性。それは鋭利に研ぎ澄まされたナイフのような切れ味を持っている。家賃という極めて現実的で泥臭い要素から立地を選択し、そしてその立地からもっととふさわしいお客様をコアな客層に設定。その中でお客様に愛される店作りを実施し、それによって得られた評価を最大限活用している。

しかし、そんな切れ味の鋭い戦略性を持ちながら中尾氏は「これまで続いてきたのは運が良かったから」と言い切る。

「グリル ド しんちゃん」の時代から29年間、会社の経営は決して順風満帆だったわけではない。
「グリル ド しんちゃん」の頃には店長にGWの売上数百万円を使い込まれてしまい会社が傾きかけたこともある。
東京でもつ鍋ブームに乗って大きなビジネスチャンスを掴むが、わずか2年でブームが収束し、信用と人脈の全てを失い、それでも東京時代に培ったメディアとのコネからもつ鍋の通販が成功し会社の危機をしのいだこともある。

その全てを踏まえて中尾氏は「運が良かったから」と言い、同時に「自分が楽しいと思うことをやってきた。だから会社も29年続けて来られた」と語る。

「楽しくなかったら絶対うまくいかないですよ。飲食店で仕事をしていて『大変です。きついです』と言う人は『向いてないとよ』と思います。お客様に興味を持って、なぜこのお店を選んで頂けたかお伺いしながらこちらの姿勢を伝えていけばお客様も喜んで下さるし、楽しいじゃないですか。楽しくないのに『自分頑張ってます』じゃ続かないでしょう。楽しいから続くんですよ」

そう語る中尾氏の顔はキラキラと20代の若者のような笑顔が浮かんでいた。

「運が良かったから続いてきた」と言いながらも決して運任せでないのは、その店作りを見ると分かる。
「楽しいことをしてきた」と言いながらも、苦労も痛い思いも多く経験して来た29年だったのも、中尾氏の話から伝わってくる。

それでも中尾氏は言う。
「楽しいから続くんですよ」
と。

その言葉からは、戦略を越えた経営の本質が垣間見えて来る。

(株)なか尾代表・中尾慎一郎氏。「楽しいから続くんです」と最後は笑顔で語ってくれた。

(株)なか尾代表・中尾慎一郎氏。「楽しいから続くんです」と最後は笑顔で語ってくれた。

店舗データ

店名 博多酒魚家 なか尾
住所 〒810-0002 福岡県福岡市中央区西中洲3−2
アクセス 国体道路・春吉橋から那珂川沿いに北へ徒歩2分。3差路を左に入ってすぐ。
電話 092-732-3142
営業時間 17:00~01:00(ラストオーダー24:00)
定休日 日曜・祝日
坪数客数 120席

Title:泥臭く尖った地方の飲食店の強み

私自身の話で恐縮ですが、私と飲食店の関わりはプロフィールにも書いているように、両親の始めた小さな喫茶店を2代目として継いだ所から始まりました。
その店は山口県山口市徳地と言う、本当に山の中の田舎にあります。
20年前には1万2千人いた人口が、今では6千人。過疎化率日本一にもなったこともある僻地での経営は、とにかくお客様が来ない。

当たり前の話ですが、でも最初はそんな当たり前のことも分からず「なぜお客様が来ないのか?」「どうやったら来て頂けるのか?」を試行錯誤し続けました。
その中で、地域密着という考えを捨て、より広い商圏でお客様の動きを考え、その動きの中でわざわざうちのお店を目指して来て頂けるために必要なことは何かを考え実行したのが10年前。
その結果、何とか多くのお客様が来て頂けるお店に成長させることが出来ました。

それは山口県の小さな店の話ですので偉そうには言えませんが、その経験を通して思うのは「立地というのは捉え方次第」ということです。

実際に福岡にあっても名の通った有名店が立地的に決して一等地と言えない場所にあるのは、皆さんもご存じではないかと思います。
あるいはその店が出来ることで悪い立地が良い立地に変わってしまった例も幾つもあります。

 

実は、昨日と一昨日取材でお話を聞かせて頂いたお2人の経営者の方の立地に対する考え方が非常に面白く、それに触発されてこの文章を書いています。
その方達のお話は改めて記事にしますが、その一部を少しだけ書くと

「立地はどこでも良いんです。死んだ場所と言われている所でも良い。お客様は自分達が集めるから」

「場所は分かりにくい所をあえて狙いました。お客様の”お店に来るまでの体験”もデザインしたかったから」

どうでしょう?面白いと思いませんか?

もちろん最初の方の「立地はどこでも良い」というお言葉の前にはその方独自の条件があってのことですが、お2人共に共通しているのは立地の有利不利を常識的には判断していないという点です。
それよりもきちんと考えた店作りをすることでお客様がわざわざ来て頂ける店にすること。そのことの方をより重視されていると感じました。

その方が強い店になる。
ある意味、当然の考え方だと思います。

 

もちろん、立地というのは飲食店における重要はファクターであることは確かです。
良い立地を押さえてしまった方がビジネス的な効率が良いのは事実でしょう。
しかし、ビジネス的な効率の良さだけで語れないのが飲食店の面白さです。

福岡県外、特に東京の飲食店経営者とお話しする中で良く出てくる言葉があります。

「福岡には出店したいけど地場の飲食店が強いから躊躇っています。でも勉強になるので福岡は注目していますし、視察にもよく行ってますよ」

私自身が東京の飲食店の動向を拝見させて頂く中で感じるのは、ちょっとビジネス的な思考に偏りすぎているのではないかという点です。
もちろん、東京にも良いお店は沢山あります。
「これはすごい」と思う店も多くあります。

しかし、全体としてはやはりビジネス的に考えすぎている傾向があるように感じていますし、その感覚で入ってくると確かに福岡は難しい。
あるいは”地方は”難しいと言っても良いかもしれません。

地方の飲食店はビジネスというよりも商売として、泥臭く、でも尖った仕事をしています。
その泥臭く尖った部分が東京の方々には新鮮に映っているからこそ、東京の飲食店経営者が福岡を注目しているだろうと思いますし、そこが地方の飲食店の強みです。

その強みは忘れずに商売して欲しい。

偉そうに言える立場ではないかもしれませんが、そう思っています。

 




 

島瀬武彦島瀬モノクロ横

1971年7月20日生まれ。山口県山口市出身。学習院大学フランス文学科中退後、家業の喫茶店の2代目として飲食店経営に関わる。山口県山口市徳地という山の中の田舎の立地に苦戦する中で、神田昌典氏が主宰する「顧客獲得実践会」に参加。通販業界が使うダイレクトレスポンスマーケティングの手法を飲食店の集客に応用することで売上を劇的に改善。2004年よりマーケティング・戦略コンサルタントとして活動。2014年よりフードスタジアム九州編集長を務める。

Title:10月15日、福岡市中央区浄水通の食文化スタジオにて「焼とりの八兵衛」店主・八島且典氏のセミナーが開催。

10月15日、福岡市中央区浄水通にある食文化スタジオにて、福岡市を代表する人気飲食店の1つである「焼とりの八兵衛」店主・八島且典氏のセミナーが「食文化スタジオ店舗経営塾 第2回」として開催される。

セミナータイトルは「繁盛店にはワケがある 失敗から学んだ経営ノウハウ ~すぐにつかえる目から鱗のはなし~」。対象は飲食店経営者及び店長・リーダーなどの幹部スタッフ。八島氏の経験から生まれたノウハウを学べる良い機会となる。

特に第一部で語られる「すぐに取り組める!売れるメニューの作り方、売り方」は成功例だけではなく失敗例も惜しみなく公開。現場経験豊富な八島氏ならではのセミナーが期待できる。

(*内容は変更になる可能性があります)

定員は20名。

参加申し込みは食文化スタジオHPにて受付中。 http://www.syokubunka-studio.jp/seminar/2014/10/15143000.php

 

八島さんセミナー

Title:【九州の器 Vol.1】アリタ・ポーセリン・ラボ 400年の伝統と「21世紀のライフスタイル」

 

タイトル
 

サブ1

 

2010年2月、ニューヨークで開催されたそのイベントは、ニューヨークのレストラン関係者に確かな波紋を投げかけた。

アリタ・ポーセリン・ラボを主宰する七代目弥左ヱ門こと松本哲氏がリリースした新しい有田焼のスタイルを示す“JAPANシリーズ”がこの日、ニューヨークフレンチの巨匠デイビット・ブーレー氏とのコラボディナーイベントで発表されたのだ。

 

従来の有田焼の技法と伝統的な紋様デザインを活かしながら、21世紀のライフスタイルに根ざし、なおかつ日本独自の生活感覚を世界へ向けて発信するJAPANシリーズ。

和食器の持つ繊細なデザインと、日本人の持つ季節感に沿った器使いの感覚、そして21世紀に住む私達の感覚にマッチする色使い。

その古くて新しいスタイルはニューヨーカーに新鮮な驚きと共に「日本の有田焼」の印象を塗り替えるに充分なインパクトを与えた。

松本哲氏のJAPANシリーズ「JAPAN BLUE 反鉢/コバルトブルー」伝統的な技法を大胆な色使いで表現。

松本哲氏のJAPANシリーズ「JAPAN BLUE 反鉢/コバルトブルー」伝統的な技法を大胆な色使いで表現。



 

サブ2

 

古くは16世紀に遡る有田焼の歴史は海外との関係、特にヨーロッパへの輸出の中で育まれてきた。

“伊万里焼”という呼称は、有田や波佐見といった九州北部の焼き物を総称する物であるが、それ以上に伊万里港から輸出される焼き物という意味が強い。

有田焼のユーザーは古来から、海外にいたのだ。

 

しかし、有田焼が輸出品としての人気を維持出来たのは昭和40年代まで。

昭和46年の円変動相場制の導入以後、有田焼の輸出は伸び悩み、多くの窯元は国内へその市場を転換せざるをえなくなる。

さらに昭和63年に起こったバブル崩壊で国内の市場も一気に収縮。多くの窯元が苦境に立たされることになった。

 

アリタ・ポーセリン・ラボを運営する弥左ヱ門窯(有田製窯株式会社)もまた、その苦境に直面した窯元の1つ。

江戸時代1804年に初代松本弥左ヱ門によって開かれた伝統ある弥左ヱ門窯は、明治から昭和にかけては輸出専門の窯として隆盛を誇るが、バブル崩壊後の不況の中で約20億の負債を抱え倒産。民事再生法の適用を受け、その当時都銀で働いていた松本哲氏が実家の弥左ヱ門窯に呼び戻され7代目弥左衛門を襲名。

 

松本氏の新しいチャレンジはその時に始まった。

7代目弥左ヱ門 松本哲氏

7代目弥左ヱ門 松本哲氏



 

サブ3

 

「100年後の有田を考えるならば、再び世界で有田焼が評価されなくてはならない」

それは松本氏の執念と言っても良いかもしれない。

 

そのために松本氏が行ったのは、まずは自社の器の商品性の見直し。

現代の生活様式の中にはかつてのような「器使い」の文化は薄くなっている。その中で昔ながらの器作りをしていては売れない方が当たり前と、今のライフスタイルに合わせた器作りを模索。その結果2006年に生まれたのが「アリタ・ポーセリン・ラボ」という新しい自社ブランドだった。

 

アリタ・ポーセリン・ラボが作る器は、決して有田焼の伝統を無視したものではない。

江戸時代から続く伝統的な紋様デザインは「永くあるからこそ確立されたデザイン」としてそのまま踏襲しながら、時にはその紋様をワインポイントとして大胆に使用。時には色を全く別にすることで新しい世界観をそこに与えた。

さらに有田独自の色付けの技術と新しい独自技術を融和させながら赤とゴールド、あるいは白とプラチナという大胆な色使いを実現。有田焼の技法に新しい息吹を吹き込んだ。

 

その松本氏の想いが結実された器。

それがアリタ・ポーセリン・ラボの“JAPANシリーズ”なのだ。

「JAPAN SNOW 多様鉢・プラチナ」白磁本来の白さと、独自の製法で塗られたプラチナの美しい銀色。伝統と新しさの融合

「JAPAN SNOW 多様鉢・プラチナ」白磁本来の白さと、独自の製法で塗られたプラチナの美しい銀色。伝統と新しさの融合



 

サブ4

 

 

例えば、“JAPANシリーズ”には「銘々皿・古伊万里草花紋」という小皿がある。

そこに描かれた紋様は古伊万里の物をそのまま使ったもの。

中心に描かれているのはコウモリを図案化したものだが、蝙蝠(コウモリ)という漢字に使われている「蝠」が「福」に通じるとして縁起の良い図案とされている。

さらに周りに飾られているのは草と花。コウモリと共に生命力のある草花を置くことで、その器を使う人の繁栄を願う図案となっている。そこにはまさに江戸時代から続く“思想を持った”デザインが息づいている。

 

しかし、JAPANシリーズはそこからもう一歩踏み込む。

使う季節に合わせて色使いを変えることを意識し“JAPAN SNOW”(冬)では白磁の白を引き立てる黒とプラチナを配色。“JAPAN CHERRY”(春)は桜をイメージさせる薄いピンク、“JAPAN BLUE”(夏)は涼しげな水色、“JAPAN AUTUMN”(秋)は実り豊かなゴールド、”JAPAN TEA“(新緑の春)は鮮やかなグリーンと、使うシーンだけではなく、使う季節に合わせた色使いを提案している。

 

そこには古伊万里の伝統と、古くからある日本人の季節感と、21世紀のライフスタイルの中にある新しい色彩感覚が融合した「21世紀の有田焼」が表現されているのだ。

 

「銘々皿・古伊万里草花紋」最上部が伝統的な伊万里の色使い。その下4種がJAPANシリーズ。色を変えることで新しい表現が可能になる

「銘々皿・古伊万里草花紋」最上部が伝統的な伊万里の色使い。その下4種がJAPANシリーズ。色を変えることで新しい表現が可能になる



 

サブ5
 

 

伊万里焼400年の歴史を俯瞰しながら、同時に21世紀のライフスタイルを注視する松本哲氏。

彼は今の有田焼を「伝統産業が伝統工芸に転落しようとしている。その先にあるのは民芸でしかない」と危機感を持って語る。「だからこそ、もう一度世界で評価される有田ブランドを作る必要があるのです」と。

 

近年ニューヨークで日本食ブームが沸き起こり、2013年には世界無形文化遺産に登録された「和食」。

その和食の世界に繋がる和食器でアリタ・ポーセリン・ラボのようなチャレンジが行われているのは、ある意味必然なのかもしれない。

 

今、和食は世界に大きく開かれようとしている。

日本人の心を日本人に向けて表現している和食ではなく、日本人の心を世界の人たちに向けて表現する新しい和食が生まれようとしている。

その時、その料理を盛る器はどのようなものなのだろうか?

 

その答えの1つがアリタ・ポーセリン・ラボのチャレンジなのだろう。

 

1億人向けではなく70億人向けの日本の表現が、そこには垣間見える。

 

 

店舗データ

店名 アリタ・ポーセリン・ラボ
住所 〒844-0003 佐賀県西松浦郡有田町上幸平1-11-3
アクセス 長崎道・武雄北方ICを降りて国道35号線を有田方面へ。有田泉山交差点を右折後、線路を越えて左折。そのまま道なりで約5分。
電話 0955-43-2221 (有田製窯株式会社営業部) *見学ご希望の方は営業部までお問い合わせください

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